壊れたきり、 5年ばかり放っておいた一眼レフのカメラ。
オート機能いっさい無しのフルマニュアル(つまりピントも明るさもすべて手動)。
もちろんデジタルではなくフィルム式だ。
学生時代は肌身離さず持ち歩き、思い出になりそうなものは手当たり次第、かたっぱしから撮りまくったものだ。
けれどこのカメラの調子が悪くなった頃、ちょうど入れ替わるようにしてコンパクトタイプのデジタルカメラを手に入れてしまった。
フィルム式の一眼レフに比べ、デジタル・コンパクトは、とにかく軽くて便利だった。
―以来5年。
そういえば、思い返してみると、
写真を手に取った時の
「おっ!これイイの撮れとるなー!」
というような感動を、デジタル・コンパクトにしてこの5年、一度も味わっていない。
やはり重くても不便でも、青春時代をともにしたあの愛機でなくては、僕は満足できないのだ。
というわけで、長い間放っておいた愛機「NikonFM10」をこのたび修理・復活させた。
そして復縁!
わがFM10よ、5年間にもおよぶ長い浮気をゆるしてほしい。
またいい写真、いっぱい撮らせていただきます。
―ちなみに、
ならば一眼レフのデジタルにすればいいようなものだが、ショールームで試し撮りさせてもらったら、シャッターを切る手ごたえがまるで薄っぺらく、満足できなかった。 のだ。
【浜野基彦】
Fool on the 筑紫丘~虹ヶ丘~桜ケ丘
平成19年10月20日土曜日
浮気をゆるしてほしい。
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4 件のコメント:
私もフィルム式の一眼レフ持ってきてますよ!カメラは詳しくないけれどシャッター押した時のカシャンて音とか、出来上がった写真はデジカメより味があります。見たまま撮ってくれるのも嬉しいですね(^_^)
⇒葉月さん
ただの懐古趣味やアナログ保守というのではなくって、デジタルもフィルムを比べてみるとそれぞれ一長一短。
それぞれの長短をよく推し量ると、やはり自分にはフィルム一眼レフが合うようなのです。
とくにシャッターが落ちた時の手に伝わる振動は、やはり掛け値なしにいいですね。
あとはフィルムを装てんする際、フィルムケースを開けた瞬間立ちのぼる、あの酢のような香りが、何とも言えず好きなのです(変態や)。
そうそう。
こんなとこで言うことかどうか―なのですが。
葉月さんの20日付けの日記には、心を揺さぶられました。
やはり僕にも同じような経験がありまして。
というか、僕の場合、同じような経験をを懲りずに繰り返し繰り返し、生きてきてるんですが…。
でもそういう、少し時間がたって思い出すたびに、重めの苦笑いをかみしめるような経験こそが、自分を強く、そして何より人に優しくできるようにしてくれているのだと思います。
葉月さんにいい風が吹きますように!
いつも温かい書き込みをありがとうございます。
わたしも最近はデジタルカメラ。
一眼レフにまた戻りたいのだけど、いまの生活のスピードと一眼レフのスピードが違いすぎてまだ戻れてません。
むかしは一眼レフで写真を撮るのに夢中だった。
フィルムを少し出して装填して少し巻きつけて、ふたを閉める。
どんな写真が撮れてるか現像するのが楽しみだったな。予想以上によい写真が撮れてたときのうれしさと言ったらなににもかえがたいものがありました。
また写真を少しずつ撮り始めました。文章もときどき書いています。
よかったらブログのぞいてみてください。
mixiに住所のっけてます。
ところでシャーロック・ホームズの「這う人」っていうタイトルだっけな。なんかそんな感じのやつ、観た?
ちょっとびっくりしました。
それではまた。
⇒nonakaさん
一眼レフは、中学の時に祖父が譲ってくれたのが初代でした。
それが寿命を尽くすようにして壊れた跡、当時新型だったFM10を新天町入口のカメラのキタムラで買ったのでした。
以来高校にはほぼ毎日携行していたような気がします。
今や貴重な、高校時代のあなたの姿も、ばっっちりおさめておりますよ(笑)
それから、長崎で福岡で東京で、たくさん写真を撮り合いましたね!
おお、懐かしい!
思い出深いたくさんの写真たちはすべて大切に保管してあります。
それこそいつか盃を傾け合いながら、その肴にアルバムを―などというのも悪くないですね。
もし渋谷あたりに出てきて時間があったら、是非是非呼び出してくださいね。
そうそう。
「這う男」
映像はまだ未鑑賞ですが、さっそく原典を読んでみました。
なんだかすごいね。
ちょうどこのころはコナン・ドイルもオカルト(スピリチュアリズム?)にのめっていた時期だから、こんな作品が出来上がったのかもしれませんね。
っていうか「さよなら人類」やん、これ。
ではでは、書き込みありがとう。
「踊・続」見てますよ。
相変わらず素敵です。
どうもありがとう。
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