玄関に日の光が差し込む時間が、一日のうちわずかにあります。
ふだん、電灯をつけなくては真っ暗で使えないトイレも(怖いから)、この時間帯になら太陽の光だけで用を足せるのだということに、今朝はじめて気がつきました。
けれど用を足している間、トイレの扉と玄関の扉はどちらも開け放たれているわけですから、プライバシーをまもることはできません。
まあ、こんなどうしようもないプライバシーを侵害しようなどという物好きは、まずいないでしょうけれど。
今朝起きて、散らかったままの部屋に嫌気がさしたり、昨日やらかした失敗に気づいて落ち込んだり、めちゃくちゃにお腹も空いていたりして、どうにも気持ちが前を向いてくれませんでした。
しかし思いがけないこの爽やかな発見に、一日を乗り切る元気をもらったりして。
「人間って、いや、少なくとも自分というのは、なんて他愛のない生き物なのだ」
と、つい吹き出してしまいました。
【以下、前回述べた『理想の女性』にかんして、くわえて気がついたこと】
今日読んだ谷川俊太郎の本に、奇しくもこんなことが書いてありました↓
「僕の体験では
アタマの中で思い描く好きなタイプの女性と、
実際に好きになる現実の女性とは一致したためしがありません。
どんな女性が好みかと問われて、
その答に千万言を費やすとしても、
目の前にひとりの女性が出現して
その人を好きになってしまったら、
千万言はたちまちゴミになってしまいます。」
―そうそう。
まさにそのとおりなのです。
さすが谷川先生、いいことおっしゃる。
なので、前回
「じゃあさ、じゃあさ理想と現実って違う?」
というHの質問に対し、少しとぼけひねくれて答えたつもりの
「その時その時の現実が、 かねてからの『僕の理想』ということになっている。」
という僕の言葉も、あながちとぼけひねくれているだけではなく、どこか真をうがっているような気がしてきました。
【浜野基彦】
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