八戸で泊まった宿は、ホテル斗南という。
屋号が気にかかる。
戊辰戦争のおり、会津藩は薩&長をむこうに回し、徹底抗戦を挑んだ。
が、結果的にはコテンパンに叩きのめされ、ダメ押しに、藩ぐるみで島流しのような憂き目にあわされる。
追いやられたのは、まさに陸の孤島。
草木もろくに育たないような最果ての地―
それが今の青森県である。
のだが、
―そのような不毛の土地でも、新たな気持ちで一歩から踏み出そう
という心意気をこめて、旧・会津藩士たちがあらたに名づけた藩の名こそが、
―斗南藩
なのだ。
チェックインのさい、思いきってフロントで尋ねてみた。
「屋号の斗南というのは、斗南藩のトナミですよね」
「さようでございます」
「オーナーは会津藩士のご子孫の、どなたかですか?」
「さようです」
ホテルマンは、心なしか姿勢を正し、いささか誇らしげに答える。
「失礼ですが、名のとおった方でしょうか?」
「お客様はご存じないかもしれませんが、オーナーは広沢安正ともうしまして―」
「え?ひょっとして富次郎、広沢安任(やすとう)さんのご子孫ですか?」
「はい!さようでございます!」
広沢安任の名が出たせつな、ホテルマンの背筋がさらにピンと伸びた気がした。
安任・広沢富次郎
この名を知らずに、いわゆる幕末ツウを名乗る輩は、はっきりいってモグリである。
「りょうまさん」をどこまでも追っかけていればよい。
彼の詳しい履歴は、ご子孫広沢安正氏が解説するサイト
http://www3.ocn.ne.jp/~hirosawa/yasutou.html
にゆずるが、
ともかく彼は、幕末動乱期の京都で、会津藩公用方(当時の対・他藩外交官)として大活躍した、切れ者である。
ことに新撰組の物語には、隊のよき理解者・保護者として、しばしば彼が登場する。
そして会津が戊辰の役で苦汁をなめたおりには、敗戦処理ののち、前述の斗南藩を打ち立てる。
不毛の土地を耕し、当時あたらしい事業であった酪農を根付かせ、辺境の地を富ますことに成功する。
彼は、日本酪農の父であり、青森県の父ともいえる大人物なのである。
―と、そんな彼の事歴を、旅に出る前、偶然に猛勉強していたものだから、この邂逅には腰を抜かすほどに驚いた。
あまりの興奮と嬉しさに、荷物をすべてフロントに置いたまま、部屋に入ってしまった。
あわてて取って返したエレベーターの中で
―こりゃ富次郎さんに呼ばれたな
と、そうおもった。
ちなみに、大河ドラマ「新選組!」では矢島健一氏が、生真面目すぎてかえってコミカル、かつ慈愛に満ちた広沢を好演していたことを付け加えておく。
Fool on the 筑紫丘~虹ヶ丘~桜ケ丘
平成20年12月5日金曜日
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