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平成20年12月5日金曜日

富次郎の宿【八戸】

八戸で泊まった宿は、ホテル斗南という。

屋号が気にかかる。


戊辰戦争のおり、会津藩は薩&長をむこうに回し、徹底抗戦を挑んだ。

が、結果的にはコテンパンに叩きのめされ、ダメ押しに、藩ぐるみで島流しのような憂き目にあわされる。

追いやられたのは、まさに陸の孤島。

草木もろくに育たないような最果ての地―

それが今の青森県である。

のだが、

―そのような不毛の土地でも、新たな気持ちで一歩から踏み出そう

という心意気をこめて、旧・会津藩士たちがあらたに名づけた藩の名こそが、

―斗南藩

なのだ。


チェックインのさい、思いきってフロントで尋ねてみた。

「屋号の斗南というのは、斗南藩のトナミですよね」

「さようでございます」

「オーナーは会津藩士のご子孫の、どなたかですか?」

「さようです」

ホテルマンは、心なしか姿勢を正し、いささか誇らしげに答える。

「失礼ですが、名のとおった方でしょうか?」

「お客様はご存じないかもしれませんが、オーナーは広沢安正ともうしまして―」

「え?ひょっとして富次郎、広沢安任(やすとう)さんのご子孫ですか?」

「はい!さようでございます!」

広沢安任の名が出たせつな、ホテルマンの背筋がさらにピンと伸びた気がした。


安任・広沢富次郎

この名を知らずに、いわゆる幕末ツウを名乗る輩は、はっきりいってモグリである。

「りょうまさん」をどこまでも追っかけていればよい。


彼の詳しい履歴は、ご子孫広沢安正氏が解説するサイト

http://www3.ocn.ne.jp/~hirosawa/yasutou.html

にゆずるが、

ともかく彼は、幕末動乱期の京都で、会津藩公用方(当時の対・他藩外交官)として大活躍した、切れ者である。

ことに新撰組の物語には、隊のよき理解者・保護者として、しばしば彼が登場する。

そして会津が戊辰の役で苦汁をなめたおりには、敗戦処理ののち、前述の斗南藩を打ち立てる。

不毛の土地を耕し、当時あたらしい事業であった酪農を根付かせ、辺境の地を富ますことに成功する。

彼は、日本酪農の父であり、青森県の父ともいえる大人物なのである。


―と、そんな彼の事歴を、旅に出る前、偶然に猛勉強していたものだから、この邂逅には腰を抜かすほどに驚いた。

あまりの興奮と嬉しさに、荷物をすべてフロントに置いたまま、部屋に入ってしまった。

あわてて取って返したエレベーターの中で

―こりゃ富次郎さんに呼ばれたな

と、そうおもった。


ちなみに、大河ドラマ「新選組!」では矢島健一氏が、生真面目すぎてかえってコミカル、かつ慈愛に満ちた広沢を好演していたことを付け加えておく。

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